Alice, 今日のひとり言。

“人生をうまく、幸せに生きる”のに欠かせないことが一つあります。それは、“許す”ということ。そしてこの“許す”ということは口で言うほど簡単なことではなく、ものすごい“負”のエネルギーに対処しなくてはいけないから、自己鍛錬を必要とします。

“人”には、“人生”には、必ず“許せない”ことがあります。人は、“失敗を繰り返しながら”成長してゆくものだからです。親しい間柄でも、他人でも、謝れば済む問題の時はそれでいいのですが、取り返しがつかないことが起こってしまった場合、それでも“人生”は続いてゆくのですから、私たちはどんなことでも常に、“対処”していかなければなりません。

では、どう、“対処”していけばいいのでしょうか?愛する家族が“失敗”をしてしまった場合は、どんなことがあれ、“許す”。他人であれば、“離れる”のが一番です。大体において“許せないこと”は“人”によって起こることですから、その人と会わずにいれるのであれば、“会わない”。そしてなるべく“忘れる”努力をした方がいいです。”許せない”気持ちを引きずって生きてゆくとあなたの顔に”許せない”表情が刻まれたまま形成されていってしまうからです。学校だって、職場だって、本当は”離れた”方がいい。もし私の子供や配偶者が、学校で、職場で、“苦しい”思いをしているのであれば、私たち夫婦はすぐにでもそこから“離して”あげます。そのことに意見の不一致はない自信があります。世間や親戚はどうでもいい。反対する人がなんだというのでしょう、“一番大切なものは何か?”それは、自分達が“愛する人たち”ですから。

世の中には、“学校を辞めること”、”仕事を辞める”こと、をまるで”犯罪”のように言う人がいます。そして当たり前のように“批判”し、“責め立てて”きます。が、それが“恐怖”となり、私たちは“本当にしたいこと”、”本当になりたい自分”、“本当に生きたい生き方”を諦めてゆくのです。あまりに自分の人生に口出しをしてくる人や、批判してくる人や、文句を言ってくる人がいれば、堂々と”離れて”いいのです。親や世間は、“忍耐力がない”とか、”社会性がない”とか、ダメ人間のように言うでしょうが、それは間違いです。“人生”は、“あなたのもの”だということを忘れないでください。“あなたの人生”は、“あなた”が、好きなように生きていいはずです。

では、”今いる”場所が好きで、そこに居たいのだけど、自分を困らせる人と“離れられない理由”がある場合などはどうしたらいいのでしょうか。そんな時は、相手が悪いとか自分が失敗したとか関係なく、その状況、起こってしまった事柄、を“許す”、“忘れる”。恨みや怒りを抱いたまま生きても、“幸せ”にはなれません。“自分の幸せ”のために、“許す”、“忘れる”のです。

でもこの“許す”の前に一つだけ、しなくてはいけないことがあります。それは、“相手に”、“伝える”ことです。

私ちはとにかく“臆病”になりがちです。“楽しく”、“幸せに”というよりも、“安定”を求めるあまり、本当は、自分の心や本心と向き合い、深く探らなくてはいけない部分に蓋をしていたり、避けて毎日を過ごしていることが多々あるのだと思います。でも、それが時々“爆発”して、酔った時に悪態をついたり、大声で怒鳴ったり、異常に落ち込んだり、精神的に病んでしまいます。“自分の奥底にある本心”を極力“存在しないように”、見て見ぬ振りをして過ごす理由は、“伝える”ことへの“恐怖”です。友達と“うわさ”話をすることや、気の合う人に言ってもその場限りの“気休め”にしかなりません。問題は常に面と向かって“相手”と話さなくてはなりません。だからこそ、私たちには“伝える勇気”がいるのです。

喧嘩して勢いで”言う”のは、いい選択ではありません。”言いたいこと”は、しっかり考え抜き、時間と場所と雰囲気を完璧にして“伝える”こと。何を“伝える”のか、“どう”伝えるのか、前もってしっかり考え抜く必要があります。これができないと、上司だったり、同僚だったり、親だったり、配偶者だったり、友人だったり、親戚だったり、そういった周りにいる“自分よりも強い人”の思い通りに“自分の人生”を生きていかなきゃいけなくなるからです。ある程度は“流れ”に任せることや、“人の想い”を尊重することは大事ですが、心が乱れたり、怒りを覚えた時には、自分を犠牲にしてまで自分を抑えていてはいけないと思います。

私たち日本人は、何となく、“言わない”ように育てられますよね、「当たらず障らず」という言葉があるように、物事を丸く収め、アクを作らないようにしがちです。親も社会も、子供たちに、“挨拶は大きい声ではっきりと”道ゆく人にさせようとしますし、“我が子の気持ち”よりも“世間体”を気にする親の多いこと。そんな子供たちは自分の思いを小枝が折れるようにポキポキと折られ続けながら成長し、”自分”への評価が極端に低くなり、“自尊心”がほとんどなくなっていってしまうのです。まだ親や社会に“反抗”できる子はマシです。“怒り”という感情は、“悲しみ”ですから。うまくコニュニケーションができない、うまく親に伝えられない、頭ごなしに押さえつけられている子供たちの“悲しみ”が、大人が勝手に名前をつけている“反抗期”と呼ばれるものです。なんて無責任な呼び名でしょう。大嫌いな単語です。愛する子供が何かを言ってきてくれたら、他人にするよりも“真摯(しんし)”に、何かをしている”手を止めて”聞くべきなのです。配偶者や子供とは、横に座ってお茶を飲んだり、歩幅を合わせて横に並び散歩したり、ドライブしたり、スマホやパソコンを閉じて話す時間を1日に出来るだけ多く”創る”べきなのです。それが“コミュニケーション”であり、親として、妻として、夫として、家族の一番大切な役割だと思います。

日本人は特に“コミュニケーション”があまり上手だとは言えない民族のような気がします。喫茶店で女性同士で話している“噂話”や”人のこと”、”夫の悪口”は、コミュニケーションではありません。あれは単なる“陰口”です。夫婦で、親子で、”本心”を語り合えるのが本当に必要な”コミュニケーション”であり、日頃からしていないとどんどん疎遠になってしまう技術のようなものです。

人と人の距離なんて、親子であっても、夫婦であっても、すぐに取り返しがつかなくなる程遠くなるものなのです。”血のつながり”なんて思ってるほど強くないですから。

人の悩みで一番苦しめられている人を見れば分かると思います。子供が一番苦しめられている相手は往々にして”親”ですから。親たちも親たちで、そんな“自分がこれまで知らず知らずに傷つけてきた”子供が大きくなるにつれ、今度は親たちが”子供”に苦しめられています。先祖を大切にとか、年上を敬うとか、世間体ばかり気にして“常識”でしか物事を考えない社会、大人たちのエゴを押し付けながら育てた子供たちの反逆。悲惨としかいいようがないです。

子供を育てる時に一番役に立たないものこそ“育児書”と呼ばれるものだと思います。

“子供はみんな同じ考えをし、同じ行動をするもの”という前提の元に書かれている本を読んで、目の前にいる”我が子”の考えや思いは”無視”している親を何人も見てきました。自分の子供でさえ、一人ひとり違うはずです。

気づいたらあっという間に“取り返しがつかない”時期がきてしまいます。

もうすでに子供が大人になってしまっていたら、それでもいいから、子供に”本心”を聞き、”謝って”みたらいいと思います。感謝したり、謝ったり、お礼を言ったり、褒めたり、伝えたり。他人にできて、家族にできない人はとても多いような気がします。

さぁ、私もパソコンを閉じて、愛する家族の元へ行こう、っと。

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