雪、雪、雪。
今日は、九州では珍しい雪。お庭が真っ白になり、空から大粒の雪が宙を舞っています。こんな日は、パソコンをしながらも、時折窓の外を見つめるのが楽しみ。雪ってなんでこんなに人の心を奪うのだろう。きっと“真っ白”だからじゃないかな。誰もが、”真っ白”になりたい気持ちや瞬間があるんじゃないかな。
今日は、九州では珍しい雪。お庭が真っ白になり、空から大粒の雪が宙を舞っています。こんな日は、パソコンをしながらも、時折窓の外を見つめるのが楽しみ。雪ってなんでこんなに人の心を奪うのだろう。きっと“真っ白”だからじゃないかな。誰もが、”真っ白”になりたい気持ちや瞬間があるんじゃないかな。
オーストラリアオープンが開催中ですね。いつ見ても、真っ青なコートにくっきりとした白い線が綺麗で目に焼き付くコートです。オーストラリアオープンは行ったことがありませんが、USオープンは、2009年に見に行きました。見たかったのは、フェデラー、ナダル、ジョコビッチ。運よく3人とも見ることができました。残念ながら、フェデラーは引退してしまいましたが、10年以上たった今でも、ナダルとジョコビッチ、そしてマレーも、現役なのだなぁ、となんだか感銘を受けます。 フェデラーもジョコビッチもお父さんになり、ナダルはどうなのかな?あの綺麗な彼女と結婚はしたと思うけど、3人を見ると、2009年の頃を思い出します。当時我が家ももちろん2009年。2000年ベイビーの三男は、当時9歳。次男が11歳で、長男は14歳でした。3人ともプロのテニス選手になることが夢でしたが、今ではテニスとは全く異なる、パソコンやデザイン関係の仕事をしています。 仕事の内容は違えど、10年以上家族で“夢を見続けた”日々は決して無駄ではなかったし、様々な場面で精神的にも役に立っていますし、長男と三男は今でも毎日テニスをしています。今、こうしてパソコンを打つ机には、あの頃の主人と子供たち3人の笑顔が光っています。次男が南カリフォルニアのジュニアオープンで優勝した時の帰りに撮った写真。 また、行きたいな、アメリカ。今度は、テニスの遠征じゃなく。 1980年、カンザスで過ごした日々、2005年、家族で中部を縦断した日々、2012年、家族で南カリフォルニアのジュニアオープンテニスの試合に出続けた日々。どのアメリカも楽しかったなぁ。 さて、明日もまた誰かがつけてるでしょう、オーストラリアオープン。仕事しながらも時折聞こえてくるあの歓声とボールがラケットに当たる音。我が家にとっては、それぞれの心に宿る、特別な音。
タイトルに惹かれて思わず手にとってしまう本それ正解です。「ベンツに乗ったホームレス」題名を見たら、一体何が巻き起こるのだろうってワクワクしませんか?実際、本当にそのワクワクがたくさん詰まった内容になっています。作者の想いを、包み隠さず書き込んであるため思わず、時間を忘れて、のめりこんでしまうんです。 決して、順風ではない毎日を、時には涙を流しながら過ごして来た数々の出来事。だからこそ、「わかる~」って思える部分あり。その逆に、「え~なにそれ~」って思う部分あり。自分に当てはまることもたくさんあるはず。家族、仕事、人生すべてについてハッとさせられる、たくさんの気持ちに気づける本です。人生に迷った時、ぜひ、読んでみて下さい。
たくさんの家族には、それぞれの生き方があり、いくつものエピソードがあります。 幸せだけじゃない、困難をいくつもいくつも乗り越えることだってあります。 家族の形について、刺激的かつ新しい考え方を教えてくれる本です。 うちと同じだと思う人。こんなこともあるのかと思う人。 意見も様々だと思います。 「普通の家族」「一般的な家族」そこからは少し外れてしまっているかもしれません。 外れたからこそ見えたこと。外れているから楽しいこと。 そんな感動や思いを皆さんにも気づいてもらえたらうれしいです。 家族、子育て、仕事、絆、女性として、母として、妻として けんかしても会いたくなくても、簡単には離れられない、それが家族。 その中で起きた、紆余曲折をどう考え、どう選択するか これが正しいということではありません。 その答えにたどり着く、ヒントのひとつになればと思います。 あなたの人生が、ちょっとだけ良い方向に進むために役立てばと思います。 「ベンツに乗ったホームレス」ぜひ、おすすめです。
人生を楽しめるのは自分次第 あなたのペースで歩きましょう おすすめの本をご紹介 Read More »
sergeipolunin[/caption] ゼルゲイ・ポルーニンというバレリーナをご存じでしょうか。 私は以前何かで彼のビデオを見ましたが、その時は古典バレエしか興味がなく、バレエと言えば美しい舞台と衣装、決まった踊りを期待していた為、彼のビデオに強烈な印象は受けましたが、それほど彼について知りたいとは思っていませんでした。 しかし今は彼の大ファンです。彼の踊りにではなく、“セルゲイ・ポルーニン”という人に興味を持っています。 きっかけは、NETFLIX で “ダンサー セルゲイ・ポルーニン 世界一優雅な野獣”を見てから。 https://www.youtube.com/watch?v=YXsP-AAL-7M ドラッグ、痛み止め、体中のタトューとい異質な天才バレリーナの努力と苦悩が痛ましい映画ですが、その後の彼をyoutubeで追ってみると今は自分らしい生き方が出来ている気がして少し安心しました。 バレリーナもアスリートと似ているなぁと感じました。日本ではやっとアスリートがテレビに出て注目を浴びるようになり、素敵な事だと感じています。 セルゲイ・ポルーニンさんが言っています。学校で“生き方を教える授業があってもいいと思う。”とか、ダンサーが努力に対してどれほど日の目を浴びていないか。ダンサーもチームで守られるべきだということ。例えば会計士だとか、マネージメントだとか。 今彼は気の合うダンサーたちと独自の世界を切り開きつつあります。天才であり努力家、苦悩の中から必死にもがきまだ結論は出ていないにしろ一つの壁を乗り越えた彼の哲学に世界中が共感しつつあると感じています。 まだ若いのでこれからどれだけ彼が活躍してゆくのかをとても楽しみにしています。大きな組織に潰されないといいですね、 彼がこれほどバレエファン以外の人達からも注目を浴びるきっかけになったビデオがこちらです。 https://www.youtube.com/watch?v=c-tW0CkvdDI 彼が抱えてきた重圧による苦しい程の苦悩が全身で表現されていて見ていて辛くなるほどです。このビデオを最後に彼は踊ることを辞めようと思っていたそうで、この撮影の間9時間彼は泣き続けていたそうです。しかし、ビデオが公開されるや否や世界中で再生され、今ではバレエとしては異例の2000万回越え!この世界中からの想いに応えるようにセルゲイ・ポルーニンは2か月後もう一度踊ることを決意しました。 それ以降彼の中で大きな何かが変わった気がします。表情も発言も何か一つ大きな確信を持って行動、発言していて、魅力が増しましたね。 少しずつ大きな自信と目標が明確になって来たのではないでしょうか。バレエ界の異端児であり、バッド・ボーイと呼ばれていますが、彼のインタビューを見ているといつも映画の中で見せたピュアで繊細な心を感じます。 “自由でいたい”、“自由に発言したい”、“自由に踊りたい”、“幸せに生きたい”、彼の言葉の中にはいつもこの4つの想いを感じずにはいられません。 有名人であるがゆえに、バレエという狭い世界がゆえに、プリンシパルという重圧がゆえに、若すぎた彼の心は何度となく崩壊してしまいましたが、これらかは大きく羽ばたいて才能を活かし、世界で活躍してほしいです。 セルゲイ・ポルーニンの日本の一ファンとしてこれからも彼を応援してゆきたいと思います。 セルゲイ・ポルーニンさんを有名にしたビデオの音楽がまたこの音楽でないとこれほど大きな反響はなかったのではないか、と思える程大切な要素です。 よかったらこちらもご覧ください。 https://www.youtube.com/watch?v=PVjiKRfKpPI ]]>
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世界のお金をコントロールするためにつくられた組織。当時世界の4分の1の富を持っていた6人が作ったらしい。 [caption id="attachment_1469" align="aligncenter" width="300"] 世界のお金をコントロールする人達[/caption] 先日200万の借金で心中しようとして奥さんだけが亡くなってしまったという不幸なニュースを見た時に、たった200万のお金の為に命を絶つなんて、と悲しくなってしまった。お金はこの人たちが作った組織で刷られているただの紙に過ぎない。しかも、この銀行はお金を持ってはいなくて、人々が銀行でローンを組んだりして作る“負債”によってお金を刷っているだけ。 それでも世の中には新しい技術と共に、マーク・ザッカーバーグやビル・ゲイツ等新しい富裕層がわき出ているからすごい! これはこの人達にも予測は出来なかったと思う。 折角インターネットというツールを得たのだから、きっと私たちにも何かできるはず。 ロックフェラーやロスチャイルドが世界を牛耳っていることは周知の事実となりつつあるけれど、これからの未来に実際“紙幣”というものがいつまで存在するのか疑問。ビットコインなどの仮想通貨が出現してきたし、きっといつか今の“紙幣”に変わる“正しい”通貨が出てくると思う。 現代は、“お金”に心まで支配されている人が多い。 “お金”があれば“幸せ”になれるわけではない。先に“生き方”や“幸せ”について学んでそれから“お金”について学ぶような教育ならあってもいいんじゃないかと思う。正直学校で受けている授業なんてインターネットで調べればもっと早くもっと深く学べるから。]]>
Who Controls All of Our Money – 誰が我々のお金をコントロールしているのか。 Read More »
自分が納得できない事を“流れ”に任せて行動することが出来ない人、なのである。 彼は、“赤い羽根募金”を拒否した。するとそこの自治会が怒りだし、“みんなやっていること”だから、“前から決まっていることだから”とMaSaに“信じられない!”とまるで非国民扱い。 事業をしている私たちは、この町でテナント会とやらに入っていた時にも同じことが起こった。 テナント会の動物病院から、強制的に“盲導犬募金箱”などが回されてきたのだ。ここでもMaSaが、“自由意思”を主張すると怒り狂ったテナント会がMaSaを悪者扱い。 てんびん座の私としては、正直“周りとうまくやって”欲しかった。言われたとおりにお金を払えばそれで済むことは済ませておきたい、という考え方だったから。 しかし、10数年後の現在、30代だったその頃とは違い、50代。移住するたびにいまだにこの問題が解決しない事を思うと本当にやるせない気持ちになる。 そこでしっかりと考えてみた。 Masa は、寄付やボランティアが嫌いなわけではなく、自分で直接手渡せる寄付はたくさんしてきたし、余裕があればどれだけでも寄付をしたがる性格だ。ただ、“自分の目でしっかりと確かめてきちんとそのお金が当人に渡る”という事が大前提で、ボランティア団体にお金を渡して“あとはお願い”というスタイルが好きではないだけだ。 だから、“寄付やボランティア”はあくまで“自由意思”でいいのではないか、と主張しているだけ。 それがどうも田舎のお年寄りには腹が立つらしい。 聞く耳を持たないどころか、一転“悪者”となる。 とりあえず住民とはそぐわないまま、その町には5年程済んだ。その間にアメリカを3か月幼い子供達と一緒に縦断し、帰国したらなんと3兄弟が全員小学校を辞めてしまった。理由は“時間を無駄にしたくない”という理由。 近所の“募金騒動”など小さな問題で、教育委員会などもっと大きな広い範囲での社会が私たちの敵となり、“理解不能”な我が家の生き方は、どんどん批判の的となり、家には勝手に先生やカウンセリングが訪れてくるので、住所はそこに置いたまま、私たち家族は湯布院のさらに奥にある小さな別荘地に移り住んだ。ここでは教育委員会や社会の目から逃れられ、自由に過ごすことができた。 しかし、隣に精神病の女の人が引っ越してきて状況は一変。まだ小学生だった子供達を追いかけ回したり喚き散らしたりするので、子供たちが怖がるようになってしまい、家族は日本を離れ、アメリカへと移り住むことにした。 アメリカと日本を行ったり来たりする生活が3年程続いた頃、3兄弟が全員“義務教育”を終了する年齢に達し、以来社会は私たちを無視してくれるようになった。 これで問題が解決したかのように思えたけれど、今回移住した佐賀県でもまた“自治会”問題が発生した。お決まりのパターンで「入りません。」というと反感を買うので「振込先を教えて下さい。会費は支払います。」とMaSaは答えたけれど、区長は納得がいかないらしい。 なぜ無視しないのか?と思うかもしれないけれど、田舎と言うのは“勝手に”敷地内に入ってくることが許されている文化のようで、とにかく勝手に人の家に入り込んでくる風習がある。 区長は、“お金だけ払って地域の掃除には出ないなんて信じられない!”と私たち家族の事を言い回っているけれど、回ってくる紙には “不参加の場合 3,000円を払って下さい。”と明記してあるのだから、3,000円を払って参加しないことでどうしてそんなに責められなきゃいけないのかと思う。 しかも、ヨボヨボのお年寄りたちがスコップを持って車が多く走る歩道脇の溝を炎天下の中何時間も掃除する姿を見たら、よほどそちらの方が“止めるべき行事”としか思えないのだけれど。みんなの意見を聞いて、本当にしたいのか、本当はしたくないのか、もししたくないなら、ではどうしたら解決できるのか、という話し合いを持つ気もない区長。以前同居していた90歳を越えた祖母は出席もお金も免除されていた。しかし私たちの様な若者は率先して出るべきだ、という考え方なのだろう。 道に倒れた老人がいれば手を差し伸べるし、困った人がいれば助けたい。不当な扱いを受ける人がいれば優しくしたい。けれど、自分家の前でもなく、神社までの道路だからきれいにしましょう、と車の往来の激しい道路の脇の溝を汗だくになってスコップで掃除することはしたくない。 もしどうしても掃除しないと危険が及ぶことがあれば、市や町の道路だから申請すればいいと思う。 こうして自分たちの“意見”を伝えると、“前からしてきたことだから”、“ずっと続いてきたことだから”というのが区長の意見。掃除の後の“飲み会”も嫌だと言えばまたそこで反感を買うだろう。 こういう人達とは、意見が合うことはないから、避けるのが一番。というのがこれまでの経験から学んだ処世術。 嫌われることに慣れれば大した問題ではない。 地方は過疎化の問題でIターンやUターンをしきりにアピールしているけれど、都会から引っ越してきた人が移住を後悔する理由がこの“息苦しさ”だともっと認知するべきだと思う。 緑、空、空気は素敵だけれど、“しがらみ”が多すぎる。MaSaの様に対抗できる強い意志と精神がないとなかなかこの田舎に住み続けるのは難しい。 “今までこうだったから”ではなく、“より快適に住みやすく”するための話し合いが出来、“若者”の意見を積極的に取り入れよう、聞き入れよう、とする体制が出来れば、もっと多くの若者が田舎暮らしをすると思う。 私たちは若くない。50だから言えるし、50だからどうにか相手も引き下がる。しかし、私たちの子供達は、まだ20代前半と10代後半。田舎の風景、暮らし、は好きだけれど上記したようなズカズカと敷地や心に入ってくる風習は嫌っている。この子達はMaSaが好きだから一緒に移動する。MaSaは若者が大好きだから積極的に“若い人”の意見を聞くし、とても尊重するから、子供達に慕われる。 MaSaは大人が嫌い、と公言する。大人臭い子供も嫌い。 MaSaは、みんなが本当に“自由”に“好きなようにしたらいい”と言う。 年功序列が根強い日本社会、特に地方ではさらにそれを強く感じる。年寄りのいう事は間違いない、親の言う事が正しい、年上を立てる、飲み会での親睦、が肌に合わないと軋轢も生じやすい。 MaSaの様に立ち止まって考える子供の様な大人にとっては一人では生きにくいと思う。ただ、MaSaには最愛の家族がいて、常に4人のサポーターがいるから幸せなのだと思う。 若者が幸せを感じる社会にするには、もっと日本社会がOPENになり、大人だからとか子供だからという考えではなく、子供を一人の人間として尊重し意見を聞く柔軟な心を持った大人が増えることが大切な気がする。 MaSaの社会科 by Rieko ]]>
MaSaの社会科 – 自治体に入らないと怒る大人たち Read More »