MaSaの社会科 – 自治体に入らないと怒る大人たち

自分が納得できない事を“流れ”に任せて行動することが出来ない人、なのである。 彼は、“赤い羽根募金”を拒否した。するとそこの自治会が怒りだし、“みんなやっていること”だから、“前から決まっていることだから”とMaSaに“信じられない!”とまるで非国民扱い。 事業をしている私たちは、この町でテナント会とやらに入っていた時にも同じことが起こった。 テナント会の動物病院から、強制的に“盲導犬募金箱”などが回されてきたのだ。ここでもMaSaが、“自由意思”を主張すると怒り狂ったテナント会がMaSaを悪者扱い。 てんびん座の私としては、正直“周りとうまくやって”欲しかった。言われたとおりにお金を払えばそれで済むことは済ませておきたい、という考え方だったから。 しかし、10数年後の現在、30代だったその頃とは違い、50代。移住するたびにいまだにこの問題が解決しない事を思うと本当にやるせない気持ちになる。 そこでしっかりと考えてみた。 Masa は、寄付やボランティアが嫌いなわけではなく、自分で直接手渡せる寄付はたくさんしてきたし、余裕があればどれだけでも寄付をしたがる性格だ。ただ、“自分の目でしっかりと確かめてきちんとそのお金が当人に渡る”という事が大前提で、ボランティア団体にお金を渡して“あとはお願い”というスタイルが好きではないだけだ。 だから、“寄付やボランティア”はあくまで“自由意思”でいいのではないか、と主張しているだけ。 それがどうも田舎のお年寄りには腹が立つらしい。 聞く耳を持たないどころか、一転“悪者”となる。 とりあえず住民とはそぐわないまま、その町には5年程済んだ。その間にアメリカを3か月幼い子供達と一緒に縦断し、帰国したらなんと3兄弟が全員小学校を辞めてしまった。理由は“時間を無駄にしたくない”という理由。 近所の“募金騒動”など小さな問題で、教育委員会などもっと大きな広い範囲での社会が私たちの敵となり、“理解不能”な我が家の生き方は、どんどん批判の的となり、家には勝手に先生やカウンセリングが訪れてくるので、住所はそこに置いたまま、私たち家族は湯布院のさらに奥にある小さな別荘地に移り住んだ。ここでは教育委員会や社会の目から逃れられ、自由に過ごすことができた。 しかし、隣に精神病の女の人が引っ越してきて状況は一変。まだ小学生だった子供達を追いかけ回したり喚き散らしたりするので、子供たちが怖がるようになってしまい、家族は日本を離れ、アメリカへと移り住むことにした。 アメリカと日本を行ったり来たりする生活が3年程続いた頃、3兄弟が全員“義務教育”を終了する年齢に達し、以来社会は私たちを無視してくれるようになった。 これで問題が解決したかのように思えたけれど、今回移住した佐賀県でもまた“自治会”問題が発生した。お決まりのパターンで「入りません。」というと反感を買うので「振込先を教えて下さい。会費は支払います。」とMaSaは答えたけれど、区長は納得がいかないらしい。 なぜ無視しないのか?と思うかもしれないけれど、田舎と言うのは“勝手に”敷地内に入ってくることが許されている文化のようで、とにかく勝手に人の家に入り込んでくる風習がある。 区長は、“お金だけ払って地域の掃除には出ないなんて信じられない!”と私たち家族の事を言い回っているけれど、回ってくる紙には “不参加の場合 3,000円を払って下さい。”と明記してあるのだから、3,000円を払って参加しないことでどうしてそんなに責められなきゃいけないのかと思う。 しかも、ヨボヨボのお年寄りたちがスコップを持って車が多く走る歩道脇の溝を炎天下の中何時間も掃除する姿を見たら、よほどそちらの方が“止めるべき行事”としか思えないのだけれど。みんなの意見を聞いて、本当にしたいのか、本当はしたくないのか、もししたくないなら、ではどうしたら解決できるのか、という話し合いを持つ気もない区長。以前同居していた90歳を越えた祖母は出席もお金も免除されていた。しかし私たちの様な若者は率先して出るべきだ、という考え方なのだろう。 道に倒れた老人がいれば手を差し伸べるし、困った人がいれば助けたい。不当な扱いを受ける人がいれば優しくしたい。けれど、自分家の前でもなく、神社までの道路だからきれいにしましょう、と車の往来の激しい道路の脇の溝を汗だくになってスコップで掃除することはしたくない。 もしどうしても掃除しないと危険が及ぶことがあれば、市や町の道路だから申請すればいいと思う。 こうして自分たちの“意見”を伝えると、“前からしてきたことだから”、“ずっと続いてきたことだから”というのが区長の意見。掃除の後の“飲み会”も嫌だと言えばまたそこで反感を買うだろう。 こういう人達とは、意見が合うことはないから、避けるのが一番。というのがこれまでの経験から学んだ処世術。 嫌われることに慣れれば大した問題ではない。 地方は過疎化の問題でIターンやUターンをしきりにアピールしているけれど、都会から引っ越してきた人が移住を後悔する理由がこの“息苦しさ”だともっと認知するべきだと思う。 緑、空、空気は素敵だけれど、“しがらみ”が多すぎる。MaSaの様に対抗できる強い意志と精神がないとなかなかこの田舎に住み続けるのは難しい。 “今までこうだったから”ではなく、“より快適に住みやすく”するための話し合いが出来、“若者”の意見を積極的に取り入れよう、聞き入れよう、とする体制が出来れば、もっと多くの若者が田舎暮らしをすると思う。 私たちは若くない。50だから言えるし、50だからどうにか相手も引き下がる。しかし、私たちの子供達は、まだ20代前半と10代後半。田舎の風景、暮らし、は好きだけれど上記したようなズカズカと敷地や心に入ってくる風習は嫌っている。この子達はMaSaが好きだから一緒に移動する。MaSaは若者が大好きだから積極的に“若い人”の意見を聞くし、とても尊重するから、子供達に慕われる。 MaSaは大人が嫌い、と公言する。大人臭い子供も嫌い。 MaSaは、みんなが本当に“自由”に“好きなようにしたらいい”と言う。 年功序列が根強い日本社会、特に地方ではさらにそれを強く感じる。年寄りのいう事は間違いない、親の言う事が正しい、年上を立てる、飲み会での親睦、が肌に合わないと軋轢も生じやすい。 MaSaの様に立ち止まって考える子供の様な大人にとっては一人では生きにくいと思う。ただ、MaSaには最愛の家族がいて、常に4人のサポーターがいるから幸せなのだと思う。 若者が幸せを感じる社会にするには、もっと日本社会がOPENになり、大人だからとか子供だからという考えではなく、子供を一人の人間として尊重し意見を聞く柔軟な心を持った大人が増えることが大切な気がする。 MaSaの社会科 by Rieko      ]]>

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