日本で見れる日本一のサーカス団
私たちは日本に住んでいても、日本のことを知らないことがたくさんありますよね。サーカス団もその一つだと痛感させられました。その昔、私が幼い頃家の前にある公園に時折訪れてくるサーカス団。大きなテントが張られてゆく工程をワクワクしながら眺めていました。そしてついにサーカスが開催されると町中からたくさんの親子が訪れてきて公園はあっという間に人だかりに。みんな大きなテントを見上げながら、中に入った人にしか味わえない歓喜と興奮を予想して長蛇の列をつくり、小さな私はチケットを握りしめ、大人たちの足元の間から、小さく開いたその『未知の世界への入口』を見つめてドキドキしていました。
サーカス – それは単に珍しいものや、スポーツのように驚異的な“運動神経の持ち主たちを崇める”ものではなく、私たちに“夢”を見させてくれる一種の”幻想の世界”です。
今世界はコロナの影響もあり、皆が不安でやり場のない憤りを感じ、恐怖におののきながら毎日を生きています。多くの人がリストラにあい、多くの人が家族や親しい友人を失い、打ちひしがれ、未来への希望を持てずにいるこんな時にも、“家族”で人々に“夢”を与え続けているサーカス団が日本にいることをご存知でしょうか。
私たちが『さくらサーカス』に出会ったのは2019年、当時嵐くんはまだ11歳、笑顔が最高に可愛い5年生でした。お父さんのアランとお兄ちゃんのダビットと一緒に衣装を作るために採寸をしに来たのが出会いです。私たちも家族で事業を営んでいますが、彼らも「独立して家族でサーカス団を作るのが夢!」とアランが目をキラキラさせながら話してくれました。私たち夫婦は、世間の皆様同様、嵐くんのあの笑顔に一瞬で魅了されました。お父さんのアランの笑顔もさることながら、嵐くんの笑顔は誰もが持ち合わせているものではなく、“特別”な、見た人誰もが吸い込まれてしまう“魔法の笑顔”です。
それから間もなくしてアランの奥さんのHISAさんから「ついに念願のサーカス団を新設しました!アランが夢を叶えました!名前は“さくらサーカス”です!」と電話があり、あの時出会い約束したように、私たちに「さくらサーカスのウェブサイトを制作してほしい。」と言われました。
さくらサーカスのウェブサイトを作ることになってテントが出来あがり、照明もチームウェアも、次々に最高の舞台が出来上がりつつあったその時に、”コロナ”の脅威が世界中を包み込み、さくらサーカスの船出は大嵐の中、光と出口の見えない航路へと邁進していました。
やっとの思いで、初めての自分たちのサーカス団としての公演が始まったものの客足は遠く、家族はいきなり大きな壁にぶつかってしまいました。
我が家も事業を始めて20年、起業するということがどれほど精神的にキツい時もあり、時に大きな挫折を味わされるか痛いほどわかっています。それでも、続けてゆくしかなく、その時に家族が、チームが、バラバラになってしまえば、それまでに築き上げてきたものはあっと言う間にガラガラと崩れ落ちてしまいます。そんなカケラを何度も何度も拾い集め、また積み上げてゆくのがビジネスです。
アランとはその時会って以来まだ再開はできておらず、HISAさんとは会ったことがありませんが、アランの家族と私たちの家族の絆は、会っても会わなくても、”家族”の形態が似ていることでいつも心がつながっている気がします。
あの時たまたま近くで公演をしていて、私たちの所へ採寸に来てくれ、その後ヨーロッパへ行った嵐くんとダビットのコンビはサーカスのオリンピックと呼ばれるモナコでの大会でなんと!優勝したのです!その映像はNHKのオンデマンドで観れるのでぜひみなさん見てみてください。“感動”という一言では終わらせられない、大きく心を揺さぶられる力があり、私たち現代人が忘れてしまっている何かを見出すことができると思います。
さくらサーカスは、これからが楽しみです。アランとHISAさんの家族が、先の見えない不安に押しつぶされている暗い気分の日本にきっと輝きをもたらしてくれると信じています。