日本人の話を聞いているととても“苦しい”と思うことが多い理由

私は一般的に“放任主義”と呼ばれる家庭で育ちました。幼い頃は祖父母の家で過ごし、小学校の高学年から実父母と兄弟のいる家で育ちました。変わった家庭環境から子供ながらに思い悩むことが多く、多感で感受性が強く不安症な性質でした。しかし、中2の頃に出会った友人のお陰で“それまでの自分”になかった“自分”が現れました。彼女は精神的に“ませて”いて、誰とでも、異性とでも、普通に話しができる女の子でした。彼女といることがとても楽しくなると私たちは中学を卒業して、互いに異なる高校へ通うようになっても、いつも二人一緒に行動するようになりました。そして、彼女の“歌のうまさ”が、女性ボーカルを探していた私の兄の友人がベースを弾くバンドへの参加へと繋がっていきました。彼女の練習についていった時、そのバンドでギターを弾いていたのが”彼”でした。その“瞬間”が、私の、そして今では三人の子供たちの、“運命”が決まった瞬間でした。

その後彼とは一時的に別れた間、19歳で私は単独でアメリカの中部にある“マクファーソン”という小さな町に渡米し、愛情豊かで優しい老夫婦の家に1ヶ月間ホームステイし、9月から半年間地元の短大に通いました。しかし、彼との別れで荒れていた私は、タバコもお酒も飲むようになっていて、規則が厳しかったその学校を半分退学になるような形でやめ、カンザスシティという街に引っ越し、一人暮らしを始めました。日本食レストランでウェイトレスのバイトをしながら次に進むための学校の試験を受ける為に英語の勉強に励むとても有意義な時間を過ごしていた”ある日”なぜかふと頭をよぎった“彼”の電話番号を遊び心からダイヤルしました。第二の“運命の瞬間”でした。それから私たちは空白の2年間を埋めるかのように“居れる限りの時間”を一緒に過ごし、23歳と25歳という若さで結婚しました。当時彼はまだ昼は仕事をし、夜は専門学校へ通う“学生”でしたから私たちにお金はありませんでしたが、ただ“一緒に居れる”だけで幸せでした。しかし、“夫婦”は”恋人”とは明らかに違い、自分達だけの問題ではなく、周りの親戚や社会が関連してくるものでした。子供も二人目が生まれた頃私はそんな“結婚生活”に強い“疑問”を感じるようになり、家族四人で、知人もいないどこにあるのかすら知らない“島”へと無理矢理移住しました。1999年から2005年まで島で暮らした後、2005年に一旦福岡へ帰郷しましたが、その時五人家族になっていた私たちはすぐにアメリカへ旅立ち、3ヶ月間アメリカを縦断しました。帰国すると三兄弟は「時間がもったいない」という理由で小学校を自主退学し、私たちはそれからの10年間ほど世間からの批判の的となり、大分県の自然豊かな山の中で家族五人ひっそりと暮らし、2011年〜2013年まで、アメリカと湯布院を行ったり来たりの生活をしていました。三兄弟が義務教育の期間を終えるとピタッと攻撃が収まったので、私たちは博多に移り住み、事業の拡大に挑戦しました。そして2017年に事業が大きく失敗するとついにホームレスとなってしまいました。その後復活し4期連続の黒字となっていますが、そんな経験が今ではプロデュース業とコンサルティング業で役に立っています。

メイン業種がプロデュース&コンサルティング業に変わってから様々な人たちとお仕事をする機会が増えました。ブランドを立ち上げたい、と相談に来る若者から、立派な会社の社長さんまで、地位も年齢も性別も職業も異なる人たちと話しをしていると、年齢が高ければ高い程、ガチガチに凝り固まった思考がその人を支配していて、聞いているだけで苦しくなることが多々あります。私たちは家族で“人と違う道”を歩んで来ただけにこれまで一方的に“常識のある人たち”から責められたり批判されてきましたので今コンサルティングという他社様の相談や問題を聞いても責めたり批判したりしないようにしています。だってみんな”個性”を尊重した方がいいですから。

日本の特に地方ではまだまだ性差別も当たり前にまかり通っていますし、年功序列はもちろん、出る杭も、打たれます。沖縄やハワイ、カリフォルニアなどで暮らしてきた私たちにとって“個性”はとても大切で尊重すべきものです。アメリカに暮らしていると誰かからジィ〜っと見られることはありませんでしたが、日本では我が家が家族でどこかに出かけると必ず人からジィ〜と見られるのが嫌で外に出ることも極力避けるようになりました。

日本には昔から“礼儀正しさ”や一見“大人しさ”があり、“おもてなしの精神”や”思いやり”があると言われていますが、そういった“良い部分”を”強要してしまう”ところもあるのではないかな、と思います。多様化した現代、人の価値観も多様化しています。それぞれがそれぞれの思いを口に出し、好きなように行動し、それをそれを咎められる事もなく、批判されることもなくなれば、日本はもっと創造力にわき、明るく楽しい社会になるのではないかなぁ、と思います。

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